ブルーム・ブックカフェ

2年のひきこもりから目覚めて、急速な変化を実感中なブルームの、人生が花開いていく軌跡。

在学中からひきこもりまで

 当時のわたしは、まるで生命力が外に漏れ出しているようだったと思います。

 

 毎日が憂鬱で、心が重苦しくて、生きていても楽しくありません。たまに楽しいことがあっても、暗い日常を思い出して気がふさいでしまう。やる気もなく、何事も億劫になっていました。朝起きた直後や、ふとした瞬間に、なにに対してかもわからず、ただひたすら「もういやだ」と思うのでした。

 

 過去の失敗をいつまでも悔やんだり、まだ起きていないことを過剰に心配したりしていました。また、他人が自分をどう思っているかも非常に気になり、無職になってからは余計に他人の目をこわがるようになりました。

 

 そしてなによりも、自分を全く肯定できず、同じことでなんどもなんども自分を責め、罵倒し続けてしまったこと、これが一番堪えました。

 

 わたしは感情に振り回されて、地に足をつけられず、根無し草のようでした。心配事ばかりが頭をよぎって、心が平穏であることがありませんでした。まさに心ここにあらず。

 

 もちろん健康にもよくありません。

 もともと体力もなかったけれど、疲れやすく、体調を崩しがちでした。通学だけでとても疲れてしまって、毎日できるだけよく眠るようにしても寝たりないような状態でした。もちろん休日に外に出る元気などありません。友達と遊ぶこともイベントに参加することもほとんどなく、そのころから出不精で閉じこもりがちでした。

ストレスと不安からか過敏性腸症候群になっていて、できるだけ自分をリラックスさせなければならなかったのに、当時はどうすればリラックスできるのか、本気でわかりませんでした。

 

 そのような状態ではとても就職したいとは思えません。とんでもないマイナス思考によって、わたしの目に会社は牢獄のように映り、将来に幸せがどこにもないように感じられました。

 わたしは傷つきやすく、ちょっと注意されただけでも涙が出てしまうし、会社ではそんな人間はどんなに扱いにくくて困るだろうと思っていました。家族にすらすぐ泣くからとあきれられ、そのせいで同情してもらえずにさらに悲しくなることもあるくらいでした。

 社交的でなくコミュニケーションに難があるという点は、入社以前に面接を困難にすることがわかっていました。

 また、体力もなくてすぐ体調をくずしてしまうことも不安材料でした。会社では学校みたいに気軽に休むことはできません。

しかも自分を何もできない無能だと思っています。失敗をしでかして怒られるのもこわいです。

 

 このままだと無職になってしまうこともわかっていました。しかし、知らない場所で毎日何時間もつめこまれて、失敗したり怒られたり孤独になったりするかもしれない恐怖よりは、うちに閉じこもって家族に批判されるほうが、まだましだったのです。少なくとも安全です。

 

 ほんとうは書く仕事をしたいと思っていたけれど、頭の中の声が激しくそれを打ち消したのでした。そんなことできるわけない、なにもろくに書けないくせに、と。

 

 実際創作を試みてみようとすると一字も書けないし、無理やり少し書いてみても、思い通りに書けず、自分の文章に我慢ならなくなってしまう。やっぱり自分には無理だと絶望的な気分になってしまいます。

 

 心に余裕のない人間にはよくあることですが、他人に気に食わないことを言われると、無性にイライラして、かみつきたくてたまらなくなることも。

悲しい、傷ついた気持ちに襲われたと思うと、それが途端に怒りに変わります。心の防御反応だと思います。実際、危ないところまで気持ちが沈みかけたときに、湧いてきた怒りのおかげで助かったこともあります。でも大体は後悔することになります。

 

 そしてそんな自分の気持ちがわかってもらえないとなると、外に対する不満が募り、ますます孤独を感じます。自分は犠牲者だ、みんなが悪いんだという考えが浮かんできます。しかしそのような考えは、とても認められないけれど、自分が一番悪いんだという自覚の裏返しなので、結局ますます自分を不幸にしているのです。

 

 当時のわたしの精神状態についておおまかに書いてみました。

 

 本当はもっとたくさん更新した方がいいのでしょうが、なかなか書く時間が取れません。その上筆も遅い。

 のんびり更新をおゆるしください。

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おすすめ作品紹介①〰『説得』(ジェイン・オースティン)〰

 ときどき、わたしが読んだ作品の中でもおすすめのものを紹介していこうと思います。

 

 初回はイギリスの作家ジェイン・オースティン最晩年の小説「説得」について紹介します。

説得 (ちくま文庫)

 

「説得」 ジェイン・オースティン

 

 准男爵家の次女アン・エリオットは、8年前、海軍軍人のウェントワース大佐(当時は中佐)と恋に落ち、結婚の約束をしました。しかし母親代わりで伯母のラッセル夫人は、彼の貧しさと、それに見合わない楽天的で自信に満ちた態度を危惧します。夫人はアンの将来のために彼女を「説得」し、アンは結婚をあきらめました。

この別離はアンの心に影を落とし、彼女はやつれ、8年前の美貌も色あせてしまっています。アンは独身のまま27歳になり、独立財産を持った立派な男性との結婚が難しくなりつつあると思われましたが、そこで予期せぬ再会が。

 

 本作はほかのオースティン作品同様、アッパーミドルの女性たちの恋愛と結婚がテーマとなっています。ヒロインが傷を負った状態で物語が開始するため、笑いの要素はオースティン作品の中でも控えめです。とはいえ恒例のおもしろおかしい人物たちは、主にアンの家族としてちゃんと登場しますのでご心配なく。

 虚栄心ばかり強くて准男爵位と自らの美貌がご自慢の父親サー・ウォルター、父にそっくりな長女エリザベス、ひがみ屋で、なにかと自分だけ除け者にされたと騒ぎだしては周囲をふりまわす三女メアリー。ラッセル夫人が支えてくれなかったらこの家族は一体どうなっていたことでしょうか。

 

 ヒロインのアンは地味で影が薄く、家族からの扱いもあまりよくありません。しかしやさしく思いやりに満ち、知性的です。アンは洗練された女性で、節度にかけた行動は全くありません。ところが内心では、ウェントワース大佐の言動一つ一つに心を乱され、ゆり動かされる場面もあり、それがまたかわいらしいです。アンは私が好きなヒロインのひとりです。

 

 決して表に出さないけれど、哀愁を帯びながらもやさしさのこもった愛情が繊細に描かれた小説です。アンが感じ入っている場面では、そんなアンの様子・描写にわたしが感動してしまうぐらいでした。アンの心の動き、恋心そのものに恋してしまうような感覚でした。アンとアンの恋心にすっかり夢中になり、お気に入りの一冊になりました。

 この本を最初におすすめさせていただきます。

 

 よろしければ「説得」を手にとってみてください。

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思考と感情 振り回されるのがいやになったら〰観察がヒント〰

 今日は別の記事をあげる予定だったのですが……
あまり具合がよくありません。
簡単にブログが書けるぐらいには回復してきましたが、今日が何もない日でよかったです。


 体調が悪いと気分まで落ち込んできますよね。わたしも、今日とても不安を感じました。

前述した思考・感情の観察によって、感情に呑み込まれることはないといいました。
しかしほんとうのところ、身体が辛くなるとつい、冷静さをしばしば失ってしまいます。不安が心を駆け巡ります。それでも、はっと、感情と同化していたことに気づきます。すると落ち着きます。なので呑み込まれる前に踏みとどまるか、呑み込まれてもすぐ戻ってこられます。


 感情と同化してしまった、という表現をしました。まるでわたしとわたしの感情が、本来結びつくべきでない、別々の存在どうしみたいな言い方だと思われるでしょう。


 わたしたちは思考(頭や心の中の声)や感情を自分自身だと思い込んでいます。それらはよくエゴと呼ばれます。しかしエゴは幻であり限りある存在で、本来の自分(真我などと呼ばれます)に成り代わり、主人のふりをしています。
元が幻であり不安定なので、エゴは常に自分の存在を確かにさせようとします。それはあらゆる巧妙な方法で行われます。わたしたちが真我の存在に気づこうものなら大変です。自分の存在が否定されてしまうからです。それでわたしたちはすっかりエゴを真の自分だと勘違いしてしまうというわけです。

エゴを真の自分と勘違いしていると、思考や感情に振り回されます。わたしはおかげでひきこもってひとりでうじうじするはめになりました。エゴが発するマイナスの言葉が、確かに真実らしく感じられたからです。エゴがおまえはダメだと言ったら、その通りなのでした。そのころの名残で、いまもマイナス思考がわくことがあります。全く本気にしません。「ふうん」で終わりです。人間変われば変わるものです。

わたしが述べるまでもなく、これらのことは精神世界界隈では有名で、わたしよりずっと上手に、詳しく解説されている方もたくさんいらっしゃいます。気になる方は潜在意識系のまとめブログなどを検索されるとよいでしょう。思考・感情の観察についてなら自己観察さんのまとめが参考になります。


真の自分に気づくために、わたしには思考と感情の観察(自己観察とよく呼ばれます)が有効でした。観察しているうちに、思考や感情と距離を置けるようになりました。そして、それらに加わらず、ただ眺めていられる、静かな場所の存在に気づいたのです。感情にぐらぐら揺すられても、完全に不動の場所があるのです。そこは真我や、愛や無限や永遠とも呼ばれています。

 ところが、わたしのエゴは強力で、一時はいいところまでいったものの、またわたしはエゴに引っ張られていってしまいました。過去のわたしは思考をしなければ死んでしまうかのように、考え事ばかりしていました。そのため起きている間はよくぼんやりして、ほとんどエゴの虜でした。そのためにエゴの影響を人一倍受けやすかったのだと思います。

 自己観察には何度も取り組んで、途中でやめるを繰り返しました。それでも最後には、なんとかエゴを振り切ることができました。エゴが強力でも、あきらめることはありません。なぜならその強さがエゴを滅ぼすからです。エゴはわたしを悩ませました。あんまり悩んで疲れたので、エゴも弱りました。そこが突破口だったのです。

 観察がすっかり身につくと、いつでも安全な場所に入れます。というか、そこが本来いるべきポジションとして定着できるのです。ですから自然と動揺することが減ります。心穏やかにいられます。

 

 書いているうちにだいぶ元気になりました。
もっと短く書くつもりだったのに、がっつりと語ってしまいました。短くまとめるのは長文で書くのより難しいといいます。もっと書く力を磨かないといけませんね。

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これまでのこと

 これからわたしの中で起こったことや、いま起きていることについて書いていくつもりです。

 いくつかにわけて書かなければならないものや、書く前によく振り返り、考察しなくてはならないものがあるでしょう。知識もあやふやなところは調べなおす必要があります。

それらを全部語るのは長くなると思いますし、時間もかかります。なので、その前に、おおまかにわたし自身の変遷を記しておこうと思います。

 

 

〰2017年以前

・不安感、自己嫌悪、罪悪感、無気力、ゆううつ、焦燥感などがしょっちゅう心にのしかかり、心の平安がほとんどなかった

・2015年春から無職で、ひきこもり

・企業の面接を受けたこともあるが、不合格、あるいは不安や仕事が合わないことを理由に辞退し、就職には至らず(ただ就職するためだけに無理やり応募したためうまくいかなかった)

・潜在意識の活用に活路を見いだそうとするが、うまくいかず。メソッド・ジプシー化する

・現実を直視できない

 

2017年

・何かが起こるなら今年という根拠のない感覚

・苦しみは相変わらず続き状況の変化も全くないが、これは永遠ではなく、いつか終わるという予感

 

3月

・以前取り組んでやめた、自分の思考・感情を観察するという方法に再度チャレンジ

しかしなかなかうまくいかないまま時間が過ぎる

・下旬ごろからありのままの自分を受けいれようと意識しだす(日記より)

 

4月

・14日ごろから、ノートをはっきりとっている

・あきらめていい、逃げていいなど開き直り、肯定するようなことば

・状況を変えようとせず、コントロールを手放す取り組み 「すべてはコントロール外」この言葉が突破口となる

・19日、気づく。 「悩み・思考は幻 なんとかする必要はない」 これ以降、毎日のように気づき、発見がある

・20日、ずっと依存していた心の中の大きな不安の種を手放す

〰5月

・時折マイナス思考によって心が乱されたり、気づく前のような状態に戻るのではないかとおそれたりと不安定気味なこともあったが、なんとか観察を続けるうちに、そうしたおそれも鎮まっていく

・いまにあることを意識しだす 心の状態も上向いていく

・GW後、次第に仕事への意欲が高まっていく

・興味に広がりが出てくる

・22日、就職活動開始 以降様々な就職支援施設、サービスの利用をすこしずつ始める。人間関係を築くことに前向きに

・ブログ記事の書き溜めを始める

 

6月

・就職以外にもいろいろとチャレンジや自己研さんに励み始める

・外で人と話す機会を得られるようになった 疲れてしまうし、上手でもないけれど、きちんと話せたことで自信になった 人を喜ばせたいという気持ちが出てくる

・生きているのが楽しく感じられるように

・11日、ブログ開始

 

 

 2017年4月より前は記録がほとんど残っていないので、はっきりとしたことがいえない個所もありますが、これがおおまかな、ブログ開始までの流れです。

4月から急速に事態が展開していることがわかります。なにが起きたのか? ちょっと予習しておきますと、

 

 目の前で起きていることも、自分の思考や感情さえも、コントロールすることはできない。できるのは、ただそれを見つめることだけ。

 

ただ観察し、どうにかしようとしない。

 

わたしを助けてくれたのは、この『あり方』でした。やり方ではなくあり方です。

 

わたしはもう悩むことに疲れて、あれこれ自分でどうにかしようともがくのが嫌になっていました。もがく気力がなくなったおかげで、道が開けたのでした。

 

 

 あれだけ強固でどうしようもないように思えたマイナス思考からは、いまほとんど自由です。かといって感情や、いやな考えが全くなくなるわけではないし、不快さを感じることもあります。けれども、思いきり呑みこまれて収拾がつかなくなるようなことは、もう起こっていません。

 まだ就職が決まったわけではないし、時間もかかるだろうけれど、この先もがんばっていけそうです。

いやなこともたくさんあったけれど、いまとても充実しています。苦しみの渦中にいたときには予想できなかったことです。

 

 苦しくて苦しくて、たまらない。あきらめもある。だけれど希望の光を探すこともやめられない。わたしがそうでした。

このブログが同じような人の光になれれば、と思います。

 

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HMのススメ

 最近HM(ホットケーキミックス)にハマっています。

 昨日も伯母と一緒に蒸しパンを作りました。伯母が手伝ってくれてとても助かりました。さすがに、料理を始めて間もないわたしとは手際が大違いです。

HM,卵、豆腐、砂糖、サラダ油、(レーズン)を混ぜ合わせてカップに入れて蒸すだけで、すぐ作れます。

熱熱をいただきました。むっちりしておいしかったです(^^)

 

 HMは小麦粉やベーキングパウダー、砂糖、フレーバーエッセンスなど、お菓子作りに欠かせない粉類が配合されたミックス粉です。これを使えば、ホットケーキはもちろん、クレープやドーナツ、クッキーにパウンドケーキ、マフィン、蒸しパン、どら焼き、スコーンetc.初心者でも簡単に作れます。

 

 きっかけはオレンジページでした。先月のことですが、料理に興味を持ち始めたわたしは、なんとなく料理本を手にとってはパラパラとページをめくってみました。そしてオレンジページのBESTムックシリーズを読んでいると、なんとHMで作るバウムクーヘンのレシピが載っているではないですか。

自分で、HMでバウムクーヘンを手作りできるとは思いもよらなかったわたしは、ぜひ作りたい!とオレンジページを買って帰ってきてしまいました。その後HMを手に入れると、さっそくバウムクーヘン作りに取りかかりました。手伝ってもらわずにお菓子を作ったのはこれが初めてです。にもかかわらずおいしくできあがりました。

 料理本を買ってきて独力で作ってしまうなんて、それまでのわたしなら考えられないことでした。心の力がだいぶ戻ってきていたのでしょう。このころから物事に対する億劫さがなくなってきました。

 

 バウムクーヘンの後はクッキーに挑戦し、今回蒸しパンを作りました。伯母は楽しかったようで、次はかぼちゃ入りの蒸しパンを作ろうと言っていました。

 HMのおかげで、思いがけず、わたしは楽しい時間を持つことができました。わたしが作ったお菓子をみんながおいしそうに食べてくれるのも、うれしいです。

 お菓子は好きだけれど、自分で作れる自信がないという人も、HMなら大丈夫。ぜひ、お試しを。

 

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わたしについて

 わたし自身について簡単に紹介します。

 文章を読むのも書くのも大好きな20代女性です。どちらかといえば創造的なぶん書くほうが好きです。

おすすめの本や作家もどんどん取り上げていきたいと思っています。

ブログに慣れて、書くのに慣れてきたら創作をしてみたいなあとも思っております。

 

 趣味は読書のほか、最近は料理とクラシック鑑賞に興味が出てきました。ブログ執筆がここに加わればいいですね。

 

 聴く曲は過去のものが多く、以前ほど熱心ではありませんが、歌手ではポルノグラフィティが好きです。カラオケにいけばポルノだけで履歴が埋まってしまいます。それ以外はアニメの曲を少々知っているぐらいです。

 

 愛猫家で、うちでも2匹飼っています。

 

 ほかにも、これから追々書くことがあるでしょうが、いまはこれくらいにして。

 

 

 さて、ブログを開設した動機についてですが。

学校卒業後、わたしは2年あまりもの間、仕事もせず家にひきこもっていました。

ひきこもりとはいっても、うちの中を自由に歩き回り、外出も苦ではなく(他人の目は気になりましたが)、家事もしていました。家族とも会話はふつうにできる状態でした。

 

 わたしはなぜひきこもってしまったのか

 はっきりしたことはわかりません。ただ、とにかく自分に自信がもてなくなり、やる気や活力が全くありませんでした。自分は何をしてもだめに違いない、自分はもう終わりだという気の滅入る言葉を反芻するばかり。

うつ病ではなかったと思いますが、不安や絶望的な気分にしょっちゅう見舞われていました。また無気力と、無気力を責める気持ち、無職の自分を恥じる気持ちや嫌悪感があり、それらにたえかねて全部他人のせいにして怒り、恨めば、さらなる罪悪感に襲われる。

ひきこもりは2年余りですが、こうした陰鬱な感情は在学中から抱えていましたから、思い悩んだ時期はもっと長いです。ひきこもりに至った原因としては、

 

・自己肯定感がかなり低く傷つきやすかったこと

・周囲に対する劣等感・コンプレックス

・甘やかされて育ったという自覚

・新しい環境への恐怖

・失敗することへの過剰なおそれ

 

これらがあげられると思います。どうしても自分が外の世界でやっていかれるわけがない、社会に出たらきっとつぶれてしまうとかたく信じ込んでいたんですね。もしくは、信じ込みたかったのでしょう。

 

 そして今年の4月の半ば、突然に、自分を苛んだ重荷から解放されたわたしはいま、急速な変化を迎えています。あれだけ出るのがこわかった社会に歩んでいこうとしています。仕事をしたいという意欲に満ち、億劫だった人間関係の再構築に励みたいと思い、家の外で主体的に活動したいと願うようになったのです。

 

 どのようにして変化が訪れたのかはこれからすこしずつ書いていく予定です。

ひきこもりで悩まれている方、ひきこもりではないけれど、苦しい気持ちを抱えている方、いつもつらい思いをしている方のお役に立てればいいなと思います。

 

 どうか応援よろしくお願いいたします。

はじめまして

 はじめまして。ブルームと申します。

 

 2年のひきこもり期間を経て、いまやっと就職活動を始めるに至りました。

精神的に長いトンネルを抜けて、わたしはいま、内的にも外的にも大きな変化を遂げている最中です。

その変化を記録したい、そしてのちに振り返りたいという思いに、大好きな文章を書きたいという気持ち、文章を上達させて「書く仕事」につきたいという願いが加わって、ブログの作成という道にたどり着きました。

そしてこれが人との出会いやつながりづくりへの一助になればと思います。

  このブログとはどれほど長いつれあいになるかわからないけれど(すぐにやめてしまう可能性もないとは言えませんし)、たのしく続けられればいいなと思います。

  よろしくお願いします。